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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(オ)617号 判決

判決

群馬県利根郡片品村大字摺渕五四一番地

上告人

星 野 荘 三

右訴訟代理人弁護士

長 野 国 助

中 野   道

滝 沢 国 雄

渡 辺 卓 郎

早 川 健 一

今 村   滋

群馬県利根郡片品村大字摺渕二三番地

被上告人

小 林 城 作

(外五四名)

右被上告人等訴訟代理人弁護士

萩 原 四 郎

補助参加人

右代表者法務大臣

植 木 庚 子 郎

右指定代理人

坂 井 俊 雄

柏 原 光 雄

五 十 棲 藤 吾

吉 川 正 天

田 中 瑞 穂

太 原 順 三

右補助参加人訴訟代理人弁護士

萩 原 四 郎

右当事者間の不当利得返還請求事件について、東京高等裁判所が昭和三〇年五月一六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があり、被上告人ならびにその補助参加人は上告棄却の判決を求めた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人長野国助外五名の上告理由第一点ないし第六点について。

第一審判決添附目録記載の土地は、もと上告人の所有であつたが、昭和二二年中自作農創設特別措置法(以下自創法という)の規定により国に買収され、続いて被上告人らに売り渡され、被上告人らはそれぞれ右目録記載の如く土地の所有権を取得したものであること、そして被上告人巻田を除くその余の被上告人らが所有するにいたつた土地上には、原判示桑樹が生立していることは、いずれも原審が確定したところであり、原審弁論の全趣旨によれば、右買収は、自創法三条により行なわれたものであることが明らかである。

土地の上に生立する樹木は、それが立木に関する法律の適用をうけるものである場合又は取引にあたつて特に土地から独立させいわゆる明認方法が講ぜられたものである場合を除き、地盤たる土地の構成部分として、一個の所有権の客体をなすのであり、地盤の所有権が移転するときは、地上の樹木もこれと一体をなすものとして、原則として地盤とともに移転するというのが一般私法上の原則である。ところで、農地の買収は、行政処分であつて私法上の取引とは異るけれども、買収処分の前提となるべき私法上の法律関係自体は、買収にあたつても、これを承認せざるをえない以上、明文ないし法の精神に反しない限りは、所有権の客体たる物件の収用を目的とする行政処分を規律する法の解釈としても、私法上の原則を適用することを妨げるものではないというべきである。

そこで、自創法三条の買収の場合は、前記原則に対する例外をなすものであるかどうかを考えなければならない。自創法及びその附属法令中には、自創法三条の買収については、地上の樹木を土地と離して別個の買収の対象となしうる旨の昭和二二年法律二四一号による改正後の自創法一五条および同法三〇条のような規定はない。また、未墾地買収の場合に関し地上物件を収去させる同法三三条のような規定もないから、若し土地の買収によつては、地上に生立する樹木の所有権は移転しないとするならば、旧地主は、他人の土地上に樹木を所有することとなるのであつて、この結果を是認するためには、土地を占有する権原(たへえば法定地上権のごとき)がなんらかの形で法定されなければならないわけである。しかるに、自創法上にはもとよりこのような趣旨を窺いうべき規定はないのみならず、かかる状態を生ぜしめること自体が自作農創設の精神に反するといわなければならない。

以上のように見てくると、自創法三条の買収については、これを前記一般私法上の原則に対する例外の場合に属するものとは、とうてい認め難く、したがつて、自創法三条の規定により土地が買収されたときは、その地上に生立する樹木は、国において特に買収処分の対象から除外しないかぎり、原則として、土地と一体をなすものとして、土地とその運命を共にし、農地に対する買収処分の効果は、地上に生立する樹木に及ぶと解すべきである。そして、本件桑樹についてなんらかの公示方法が採られていることについては、上告人の主張しないところであり、又原審は、本件桑樹を除外して買収がなされたと認められる資料はないとしているのであるから、原審が本件土地の買収にあたつては、地上の桑樹もともに買収されたものとした判断は、正当であるといわなければならない。

つぎに、本件買収については、土地の賃貸価格に法定の最高の倍率を乗じてえた最高価格の対価が支払われたことは、原審の確定したところである。そして、本件土地は、前記の如く、地上に生立する桑樹とともに、一体として買収処分の対象とされたものと認めるべきである以上、本件買収においては、土地の価格と桑樹の価格とを合算した結果が、あたかも土地の賃貸価格に法定の最高の倍率を乗じて得た額になるものとして、対価が定められ、それが支払われたことに帰するのである。ただ、桑樹の価格が何程に評価されたかは、ただちに算定することができないけれども、これがために、桑樹の対価が支払われなかつたことにはならない。

したがつて、本件の桑樹がかりに土地自体の価格とは別に、格別の考慮を必要とする程度の価格を有するものとすれば、本件買収において支払われた対価は、不当であつたこととなるけれども、この場合は、自創法一四条により増額の請求をすべきであつて、これがため、本件桑樹が買収の対象とはならなかつたと結論することはできないといわなければならない。

論旨は、憲法違反をいう点もあるが、自創法一四条の増額請求としてはともかく、桑樹の所有権がなお上告人に存することを前提とする本訴においては、いずれも、前提を欠や独自の見解であるか、または、原判決の趣旨を誤解するものというほかはなく、なお、論旨が第二点において引用する判例は本件に適切でない。

よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官石坂修一、裁判官河村又介の少数意見があるほか裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官石坂修一の少数意見は、次の通りである。

当裁判所の判例(昭和二九年(オ)第五六五号、同三三年二月一三日第一小法廷判決、集一二巻二号二二七頁)は、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称)一五条の規定により宅地を附帯買収する場合において、その宅地上に生立する樹木が、買収対価の算定上宅地自体の買収対価とは別に考慮を払うことを必要とする程度の価額を有するものであるときは、右宅地の買収処分の効果は、右樹木に及ばないものと解するのが相当であるとなすべきであるとして居る。この判例は支持すべきものであり、これにしたがえば、同法により農地を買収する場合、その農地上に生立する樹木が右の如き程度の価値を有するものであるときは、右農地買収処分の効果は、右樹木に及ばないこととなるものと言わねばならない。

ところで原判決は、本件土地(畑)はもと上告人の所有であつたが、昭和二二年末既に自創法により国に買収せられ、国より被上告人等に売渡され、被上告人等は適法かつ有効に本件土地の所有権を取得して居つた事実、被上告人巻田熊造の所有地を除くその余の本件土地の周囲には、本件桑樹が点在して居り、これ等は概ね樹齢数十年に達する喬木仕立の大木であり、右巻田以外の被上告人等は、昭和二三年以来これ等の桑樹より桑葉を採集して居る事実を確定して居る。しかも原判決は、右買収並に売渡処分の効果が本件桑樹にも及び、右巻田以外の被上告人等において、それぞれその所有に帰した農地上に生立する桑樹の所有権を、農地の所有権に伴つて取得したものであると判断して居るのである。

しかしながら、若し本件桑樹が、右判例の示すが如く、買収対価の算定上、本件土地自体の買収対価とは別に考慮を払うことを必要とする程度の価額を有するものであるにも拘らず、原審がその考慮を払つて居らないものとすれば、原判決はこれを維持すべからざるものとなり、右巻田以外の被上告人が本件桑樹の所有権を取得したとするには、なお考究の余地あるものとならざるを得ない。しかも、自創法による農地買収は、一種の公用徴収であつて、所有権に対する重大なる制限であるから、同法は、殊に所有権に対する対価の要否に関してこれを厳格に解釈適用するのでなければ、憲法違反となる虞ある事態の生じないことを保障し得ないのみならず、原判決自体も亦、土地に生立する樹木が土地と共に一体をなすとしても、いやしくも当該樹木に価値があるならば、これに対する対価を払うことなくしてその所有権を奪うことは、憲法二九条に違反する旨説明して居るのである。

おもうに問題の解決は、農地に生立する本件桑樹が、右判例に所謂、農地の買収対価とは別に考慮を払うことを必要とする程度の価額を有するか否かにかかつて居ると、せねばならない。

原判決は、農地上の樹木はそれが生立するために却つて農地の効用を害する場合のあることは、みやすい所であり、樹木があることによつて、それがない場合に比し必ず農地の価額が高くなるとすべき理由のないことを考えれば、自創法及びその附属政令は、農地の買収価額をかかる樹木の生立する状態において評価して定むべきものとして居ると解すべきであつて、これによつて農地の価額の中に樹木の価額は包含せられて居るものというべきである旨説明し、かつ本件土地は、当時の公定価額の最高価額を以つて評価せられたとの事実をも認定して居る。これによれば、本件土地は農地として一律の単価にて買収処分を受けたものとの印象を受ける。

まことに、農地に樹木の生立する場合、農地の効用を害することのあり得るのは、見易い所であるけれども、さりとて常に然りとなすべき経験則はないであろう。樹種、樹相、樹高、樹木の配置、作物存在の季節における風向、農地の乾湿、農地の傾斜、樹木を耕作収穫等のため利用する方法、その地方における耕耘方法その他の諸事情によつては、却つて農地の効用を増大する場合も亦少なしとしない。本件樹木は、本件土地の周囲に点在するものであること、原判決認定の通りとすれば、耕耘にはさしたる害のないことも考えらるべく、樹木の配置如何によつては、却つて冷風、耕土の乾燥過多、過熱、沃土の飛散、砂礫の飛来、土地の崩壊を防ぎ、或は作物乾燥のためこれを懸垂する用に供する等の途があつて、農地の効用を増大して居ることも看過し得ない道理である。要するに、その利弊は具体的の場合に応じて見定めらるべきことである。また本件桑樹生立のため農地の価額が低減するとしても、桑樹そのものの価額が高いため、両者の価額の合算額が、桑樹の生立しない農地の価額より高いことも或は桑樹そのものの価額がその生立して居る農地自体の価額より高いこともあり得るであろう。以上の如く思考することこそ実験則に適合する証拠判断、事実認定となり得るものであり、本件桑樹にも、原判決自ら言う如く、「価値」を認めることが可能となるのである。本件土地中には、周囲に桑樹の点在する農地あり、然らざるものあり、また桑樹点在の農地間においても、樹数の一致なく、生立箇所に相異があり、これ等の如何によつては、農地の効用に少なからず影響する所があるから、桑樹の「価値」の解明の如何によつて、農地の価額は自ら異つて来るのが当然である。原判決は、本件桑樹の「価値」を認むる如くであり、かつその対価は農地の価額中に包含せられて居るものと判示しながら、群馬県当局が農地の価額を均一の単価を以つて算定して居るのを是認して居る。かくの如く算定する以上は、特にその理由を明確にすべきにも拘らず、必ずしもこれを明確に示して居るとはいえない。

原判決の確定する所によつても、本件土地は、日光山系の裏山に当る高冷地帯の山村に在り、これに桑樹の生立することは、その下の一般作物を冷い気流の動揺より遮蔽する役割を果たすと共に、傾斜が急で砂礫の多い畑では桑樹の根が土地の崩壊を防ぐ効果を挙げ、かつ年々養蚕に必要な桑葉をも供給する利益をもたらすものとして居る。他方において原判決は、畑地に桑樹の生立することが、耕耘を困難にし、その畑や周囲の普通作物に対し気水や日光を遮り、病虫害を招きやすい等の損害を招くとのことを認定して居る。しかしながらこのことは、前記の如き諸事情をつぶさに観察し、具体的個別的に考慮してはじめて到達せられる結論であつて、実験則上遽に原判決の如く認定し得るとは考えられない。

それは兎も角として、原判決は、農地自体と桑樹自体との価額をそれぞれ正確に算定する措置をとらないにも拘らず、漫然その認定する利害を較量した結果、恰も正確にその利害相殺する如く判示し、桑樹の生立する農地も然らざる農地もその価額を同一単価により算定して居るのみならず、桑地の生立する農地間においても、樹数、この生立箇所に対して何等顧慮することなくして同様にその価額を算定して居る。その判断は余りにも法律的擬制に過ぎ、牽強附会の感を催さしめるのであつて、かかる判断が果して経験則に合致するか否か疑わざるを得ない。原判決が本件土地中、桑樹生立の農地然らざる農地、桑樹生立するその様相異る農地の間において、価額の算定に異る所がないとするには、なお他に合理的理由がなければ原判決を到底領解し得られない。

原判決はむしろ、本件桑樹の「価値」を認めながら、その価額の算定を捨て、一旦提起せられた違憲の問題を回避した憾がある。

加之、喬木仕立であり、樹齢を重ねた本件桑樹を、原判決挙示の証拠に照すときは、その幹、根に腐朽その他の特別な事由がない限り、建物、建具、家具、指物その他の用材、少なくとも薪炭用材としても無価値であるとは考えられないのであつて、本件桑樹は、その生立する本件土地と離れて、それ自体の価額を持つものと認定すべき理由がある如くである。原判決はやや、枝葉を見るに捉われて根幹を忘れたものとせられる虞がある。

かく述べて来ると、原判決は、それ自身いう如くに、本件土地の価額中に、土地上に生立する本件桑樹の価額が包含せしめられて居るか否か、説明甚だ不明であるに帰着するのみならず、本件桑樹の価額は、前記判例に所謂、農地の買収価額とは別に考慮を払うことを必要とする程度のものであるか否か、なお確める必要あるべく、若しその程度の価額があるとすれば、原判決の説明する如く、その価額をも農地の価額に加算しなければ、違憲となるべきものである。

更にまた、本件土地の存在する村落と遠く離れない他の村落において、国から農地の売渡を受けた小作人と旧地主との間で、農地に生立する桑樹について改めて対価を定めて授受し、或は農地を電力会社に売渡した際、その上に生立して居つた桑樹の価額を別に算定し、これを農地の価額に加算した上農地の対価として支払われたとの事実及び本件土地の買収処分当時、群馬県当局が農地上に樹木の生立する場合は、自創法施行令二五条に準じ、土地の価額と樹木の価額とを合算すべき旨指導したとの事実が、原判決において確定せられて居り、これ等の事実は、本件桑樹が、その生立する農地の買収価額と別に考慮を払うことを必要とする程度の価額を有するものであるとの事実を裏書する資料として省察すべきものである。これ等の事実は、原判決のいう如く、自創法の関する所であるか否かは格別として、桑樹がその生立する農地の価額と離れてそれ自体の価額を持つことのあり得るとの現実の事実に対する証左となるのである。原判決の如く、一旦は桑樹がその生立する農地の効用を増大することを認定しながら、後に至り、首肯すべき理由もなくその効用を減却するものとして働くと判断することは、必ずしも経験則上、一貫する思考とはなし得ないのみならず、動かすべからざる現実の事実の価値を排斤することは許されないであろう。まして、原判決が一般的に、桑樹は自然に生立するものではなく、かつ自然に放置すれば雑草にまけてその生産力を失うものと断ずるが如きことは、桑葉を収穫するために桑苗を畑地に栽培することに着眼すれば、妥当でないとはなし得ないまでも、屡々喬木仕立の桑樹或は桑の大自然木が、雑草に勝つて生育し、桑葉供給の源となり、これによつて養蚕を営み、或はこれを売却して代金を収得する等、果樹に近似した価値を持つて居ることを見落した狭い知見から生れたものであつて、自然事実より遊離した謬見に近い。これに基いた原判決の事実認定は、全くとるに足らない。

畢竟、原判決は、本件桑樹に対し対価が支払われないならば違憲であると判断しながら、本件桑樹の対価について考慮したか否か不明である。しかも原判決は、その対価は本件土地の買収価額に包含せられて居ると結論して居る。また本件桑樹に本件土地の買収処分の効果が及ぶか否かを決するためには、本件桑樹が本件土地の対価とは別に考慮を払うことを必要とする程度の価額を有するか否かを確定しなければならないにも拘らず、原審はこの点に関し審理を尽して居るとは考えられないのである。その結果原判決に理由不備、理由齟齬の違法をまねいたものとせねばならない。

結局論旨は、理由があり、原判決は、破毀を免れないものと思料する。

裁判官河村又介は、裁判官石坂修一の右少数意見に同調する。

最高裁判所第三小法廷

裁判長裁判官 石 坂 修 一

裁判官 島     保

裁判官 河 村 又 介

裁判官 垂 水 克 己

裁判官 高 橋  潔

上告趣意

昭和三〇年(オ)第六一七号

上告人 星野荘三

被上告人 小林城作

外五四名

被上告人補助参加人 国

上告代理人長野国助、同中野道、同滝沢国雄、同渡辺卓郎、同早川健一、同今村滋の上告理由

第一点 原判決には自創法第六条等の解釈の誤り及び理由不備の違法がある。

原審は係争の桑樹に対し国家が対価を支払う義務ありや否やの点につき頗る明快に之を肯定し「けだし土地に生立する樹木が土地とともに一体をなすとしてもいやしくも当該樹木に価値があるならばこれに対するなんらの対価を支払うことなくその所有権を奪うことは憲法第二十九条に違反するからである」と論断している。しかして、本件桑樹が相当の価値を有するものであることは上告人の一審以来主張しているところであるばかりでなく原審においても「ひるがえつて本件の場合についてみる。原審及び当審における検証の結果によれば本件土地上の桑樹はおおむね樹令数十年を経た大木で農地の周囲に点在しその数必ずしも少しとしない」旨認定していることに徴しても明白である殊に桑の大木は古来我国に於て机、鏡台、煙草盆其他高級家具、什器類の原材として貴重せられ居ることは著名なるところである。

次に本件桑樹の対価が実際支払われたかどうかの点については頗るアイマイながら原審はまたこれを肯定している即ち「しからば右買収にあたつて本件桑樹の対価は支払われたものというべきであるか、この点につき云々として本件農地に桑樹の存立することより生ずるプラス面とマイナス面を比較し本件の場合はむしろマイナスとなつていたものと認定し本件において、支払われた価格は桑樹の生立することを計算に入れて(もつともそれは価格評定に消極的作用をおよぼす事実としてではあるが)評定した価格というべきでありしたがつて桑樹の対価は右価格中に包含されていたことに帰するのであるから、それ自体価格ある桑樹の対価が支払われることなくして買収されたものとすることはできない」といつているがこれでは何のことかサッパリ判らない。即ち原審のいう「桑樹の対価は右価格中に包含されていたことに帰するのであるからそれ自体価値ある桑樹の対価が支払われることなくして買収されたものとすることはできない」とはどんな意味なのか第三者には不明である。何となれば原審は価格評定の点について(もつともそれは価格評定に消極的作用をおよぼす事実としてではあるが)と注釈している通り本件桑樹の存在は其生立せる農地の耕作目体よりせばマイナスであるので原判示の趣旨は一応係争の桑樹をも買収の対象とはしたが上記のような関係で現実には対価を算出するところまで行かなかつたのか、それとも対価は対価として算出したが地盤なる農地に対する上記の関係で一種の相殺勘定でも遂げたことになつて桑樹の対価としては表面に現われなかつたことになるのかその点アイマイであつて解釈に苦しむが、原審自身「対価が支払われることなくして買収されたものとすることはできない」ときめてかかつている以上本件桑樹の対価は支払いの効果が発生したとの見解であるとして議論を進める外あるまい。

さてもしそうであるとすると原判決は対価支払に関する法則の解釈を誤り、その結果無償で国民の所有権を奪うことになり憲法にも違反する不法があるとおもう。その理由は凡そ国民が財産喪失の対価として得るものは喪失財産そのものに対する対価でなければならない。土地の買収によつて土地の所有権を喪失するものは直接土地そのものに対する正当なる対価の支払を得なければならない。地上に生立する樹木、竹木を買収さるるものは樹木、竹木それ自体に対する対価の支払を得なければならない。

然るに本件において原裁判所は上告人が買収農地の上に数十年の樹令を有する多数の桑樹を有しておりこの桑樹に対しては国家は正当なる対価を支払うべきものなることを判示しながら、「思うに農地の上の樹木が存立するために、かえつて農地の効用を害する場合のあることはみやすいところであり樹木があることによりてそれがない場合に比し必ず樹木の価額だけ農地の価額が高くなるとすべき理由のないことを考えれば、当時適用のあつた自創法及び附属政令は農地の買収価格はかかる樹木の生立する状態において評価して定めるべきものとしているものと解すべきであつて、これによつて農地の評価の中に樹木の価格は包含されているものというべく、かかる評価のなされる限りなんら憲法違反の問題を生ずることはないのである。と前提し、次でしからば右買収にあたつて本件桑樹の対価は支払われたものというべきであるか、と設問し本件桑樹の存立が買収農地に対するプラスとマイナスの両面を比較し、マイナスの方多きをあげ本件においてはこの支払われた価格は桑樹の生立することを計算に入れて(もつともこれは価格評定に消極的作用をおよぼす事実としてではあるが)評定した価格というべきであり、したがつて桑樹の対価は右価格中に包含されていたことに帰するのであるからそれ自体価値ある桑樹の対価が支払われることなくして買収されたものとすることはできない。と結論しているのであるが右の判示事実によると原審は本件桑樹の対価関係については桑樹そのものの価値判断を為さず、かえつて此桑樹が其地盤たる農地に与える影響力のみに着眼し若くはこれを重視し、桑樹の価格を犠牲に供したるの観あるのみならず却つて原審が、本件桑樹は耕耘並に農作物にマイナスをなすものとなす点から見ても本件農地の賃貸の価格評定にはそのマイナスの面を土地自体の賃貸価格に反影せしめマイナスとなるべき桑樹の価格は除外したものと謂わなければならない許りでなく原審は本件農地買収当時における桑葉の価格下落に言及するも、桑樹自体の価格については一言も触れることなくして漫然本件農地の価格評定には桑樹の対価が包含され従つて本件桑樹の対価は支払われたものであると論断したのは、対価に関する法律の解釈を誤解したる違法あり、しこうして若し本件桑樹に対し正当なる対価の支払なかりしとせば憲法第二十九条に違反し其所権は依然上告人にある次第なれば本件上告人の主張は正当なるに拘らず原審がこれを排斤したるは違法である。

第二点 原判決には判決に影響を及ぼすべき自創法の解釈の誤りがある。

一、原判決は最高裁判所の判例に違背している。

原判決は「思うに自創法は同法所定の目的を達成するため農地その他所定の物件等を政府において強制的に買収するものでその手続の一切は同法及び附属法令に規定するところにもとづいてなさるべきことはいうまでもないが、そこに規定のないものでしかも同法の目的に反しない限りは私有財産に関する一般法たる民法その他の私法の適用を排除するものでないことは当然のことといわなければならない。そしてこれら竹木については法はその生立する土地の買収処分について、竹木をその土地に買収処分から除外すべきものとはなんら規定するところなく、かえつてかかる竹木は前記一般の原則に従いその生立する土地の買収処分に包含されてそれとともに権利の移転を生ずることを前提としているものと解さなければならない。しかもかかる竹木については買収処分が自作農の創設維持のため国において法定の土地につき所有者の意思にかかわりなく強制的にこれを買上げるものである制度の本質にてらしてみると国において特に買収処分の対象から除外しない限り所有者の任意の留保によつて別箇の措置を採り得べからざるものと解さなければならない。

当時適用のあつた自創法及びその後の改正法並びにそれらの附属政令は農地そのものの上に前記のような意味における立木の存する場合については全く規定を欠いているものでありむしろそのことを予定してはいないのである。しかしもし仮りにたまたま農地上にかかる意味の立木でない竹木について常に地盤の権利と別箇に権利の客体となるべき慣習があれば、これまたたんに土地のみの買収が樹木に当然に及ぶとすることは疑問としなければならないであろう。」と判示されている。しかしながら右判示の立木に関する法律、慣習等の私法規定は一面私法の静的安全の規定たると共に他面において取引の安全の規定であり従つてこの私法規定が自創法に依る農地買収の場合にも適用ありとする原判決は、最高裁判所の左記「自創法には民法の取引安全の規定の適用なし」とする判決に違背するものである。

(1) 政府の同法(自創法)に基く農地買収処分は国家が権力的手段を以て農地の強制買上を行うものであつて対等の関係にある私経済上の取引の安全を保障するために設けられた民法第一七七条の規定は自創法による農地買収処分にはその適用を見ないものと解すべきである(昭和二八年一月一八日大法廷判決)

(2) 専ら私法上の取引安全を保護するために定められた民法九四条は国家の権力作用によつて行われる自作農創設特別措置法に基く買収処分に適用がない(昭和二九年一〇月一二日第二小法廷民集七巻二号一五七頁)

(3) 参考判例

民法第九〇条は私法上の行為ないし法律関係を規律する規定であつて権力支配作用である本件農地買収手続には適用がない(東京高等昭和二九年一月二九日高裁民集七巻一号一四頁)

二、仮に右判示が判例に違背していないとしても原判決は本件当時の自創法第一条第二条第三条の解釈を誤つている。原判決は民法その他の私法は自創法の目的に反しない限り適用されるのは当然であるとされ、民法上土地と定着物は一体をなす権利であるから自創法においても土地の移転はその定着物の移転を伴うとされるのである。しかしながら自創法は同法の農地とは耕作の目的に供される土地であるとし定着物については定めるところがないのである。自創法が土地についてのみ定め定着物について定めなかつたのは自創法には定着物に関する民法の規定の適用があるから右の定めが無用であるというのではなく自創法の目的からして自作農創設のためなんら資するところのない定着物を当然に除外し買受人を不当に利することなからしめんがためであると解すべきである。本件当時の自創法が其の後改正され、立木、竹木の買収について定めたのは自創法の目的達成のため必要な定着物等を特に買収しうることとしたものである。従つて自創法において民法の適用により土地の買収は当然に定着物の買収を伴うものとする原判決は自創法第一条第二条第三条の解釈に誤りがある。

三、仮に然らずとするも自創法の買収処分は公権力による収用と補償であり私法の取引(契約)の観念を全く容れないものである。然るに原判決は自創法の目的に反しない限り、同法に私有財産に関する一般法である私法規定が適用されるのは当然だとされるのみで何故に本件定着物に関する私法規定が自創法の目的に反しないかの理由を明かにされないのは当然だとされるのみで何故に本件定着物に関する私法規定が自創法の目的に反しないかの理由を明かにされないのみならず自創法と私法との関係を特別法と一般法の関係の如く解されるのは自創法の解釈に誤りあるものである。

第三点 原判決は憲法第二十九条、第十三条に違背している。

前述のように本件当時の自創法には土地の定着物(本件桑樹)についてなんら定めていないのである。自創法は制限的に解されなければならない。蓋し自創法による買収は公権力による一方的行為であつて憲法第二十九条第十三条は公権力による買収は法律によりしかも個人の利益を最大限に尊重しなければならぬ旨定められている。即ち権力規定においては法の沈黙は権能の否認と解すべきである。従つて自創法の農地買収処分の対象は法律に明文ある土地のみであり法律に何んらの定めのないその定着物を含まないものと解すべきである。

しかるに原判決は農地の買収は当然に定着物である本件桑樹に及ぶとされるのは自創法に基かない買収処分であり憲法第二十九条第十三条に違背するものである。

第四点 原判決には証拠に拠らずして事実を認定し若しくは経験則に反して判断した違法がある。

原判決は「本件土地の買収にあたつて桑樹の対価は支払われたものというべきであるか」として、本件桑樹の存在が反つて土地の利用にマイナスとなつており、そのため畑の収益価額はむしろ減少していたものと解すべしとし本件土地の買収に当つて桑樹の対価は(消極的作用を及ぼす事実としてではあるが)算入されていると判示されている。しかしながら原判決には本件桑樹の木材としての価額はなにら評価されていない。原判決摘示の農地法施行令第二条によれば木材として評価すべきものは木材の価額と副産物の合算額で買収することになつている。同条は本件農地買収当時の自創法の竹木を併せて買収すべき場合の合理的な基準である。原判決摘示の事実及び証拠によれば本件桑樹は既に述べた如く樹数数百本樹令六十年以上に及ぶものがあり、目通り一米七、八十糎あるものであつて、このような桑樹材が如何に高価なものであるかは証明を要しない顕著な事実である。かかる桑樹を桑葉の価格、及び土地に対する影響のみ考慮して桑樹の木材としての価額を算定しないのは経験法則に反する判断である。原判決は弁論の全趣旨により本件土地に本件桑樹が買収価格に算入されたものと認めると判示されているが、苟くも公権力の行使においては買収物件を明示しそれぞれ買収物件に対応する価額を算出して対価を明示した上合算すべきこと、前述農地法施行令に明らがである。然るに本件桑樹自体が前記の通り高価額を有するにかかわらず本件農地買収令書にはなんら桑樹材の買収について記載されておらないのは本件桑樹を買収の対象から除外したか若しくは違法の買収処分であるのに、原判決が単に弁論の全趣旨により本件桑樹の対価が消極的に算入されていると判示されたのは証拠に拠らずして事実を認定したか又は経験則に反して判決した違法がある。

第五点 原判決は理由不備の違法がある。

原判決は本件農地買収の基準となつた昭和二十二年十二月頃の土地の賃貸価格は要するに本件桑樹の存在が本件土地の利用にマイナスとなりそのため畑の収益率が減少した。しかも桑葉の価額は極めて安価な状勢にあつたので桑樹は課税の対象とならなかつたという現実に即して定められたというのである。

しかしながら右の事実は本件農地自体の賃貸価額が本件桑樹の影響により低く評価された事実を示すのみであつて、本件の如き巨大なる桑樹自体の価額が右賃貸価格に算入されたという事実を示すものではない。原審証人五十棲藤吉及び近藤の鑑定書によるも桑葉を資本還元して評価したとあり、桑樹自体を評価していない。従つて単に前示事実のみで本件賃貸価格に桑樹の価額が算入されているとされる原判決には理由不備の違法がある。

第六点 原判決には理由にくいちがいがある。

原判決は自創法には民法の土地と定着物の一体性の規定の適用ありとされ、反面において定着物の対価の給付なき土地の買収処分は違憲であるとされるのである。

右の判示理由によると土地を買収し定着物の対価を支払わない場合には憲法上少くとも定着物の権利移転は無効である。しかるに反面自創法に民法の土地と定着物の一体性の規定が適用される結果、土地の買収は定着物につき対価の給付なくその権利移転を伴うことになり同一事実につき憲法上無効なものが自創法上有効であるという矛盾した結論を生ずることとなる。 以上

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